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2016年3月3日木曜日

神を信じる、自分を信じることの意味

信じる心とは


信じる心とは魂の属性の一つです。魂が宇宙の≪創造力≫を知る、その知識に由来します。わたし達は、肉体の五感を通して肉体を認識します。

同じように、わたし達は、魂の属性の働きを通して魂を知ります。魂の本性である信じる心を否定し、放棄していると、ついには、わたし達の意識から信じる心が失われてしまいます。信じることの意味を知り、実践するならば、それは山をも動かすものになります。


自分自身の霊的な力の創造力の活動によって意識にもたらせられるもの、これこそ信じる心の核(エッセンス)になっていきます。

(中略)


パウロの先導旅行に同行したバルナパは、信じる心をこのように定義しました。

信じる心は望むものを造り出す本体であり、まだ見ぬものの正体であると。

信じるということは、信じるところのものがすでに神に受け入れられたことを知り、一切の疑いをもたず、そのように行動することを意味します。信じる心は、不可能に思えることを実現します。信ずる心は、この世に存在するあらゆるものを存在あらしえてきました。

神あるところに、信ずる心もまたあるのです。わたし達の内に信じる心があるという事実そのものが、神にわたし達に対する約束を成就させ給うことの証拠です。

人の生まれながらの特徴は、信じる心を育て、信じる心がもたらされる実を受け取り、使い、味わうことです。

(中略)

神を信じ、自分自身を信じる度合いに応じて、わたし達は成長するのです。自分達は神の子であるという自覚を行動を持って世に示し、それによって信仰を生きたものにし、神をその言葉通りに信じようではありませんか。それ以外に、真の勝利に至る道はないのですから。



「神よ、わたしの内に清き心を造り給え。神を探し求めるすべての者の内に植え給いしあの信仰にわたしの心を開き、神への不信、隣人への不信、自己への不信から、わたしを救い給え。」


(『神の探求Ⅰ』より抜粋)

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