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2013年6月26日水曜日

心配することになんの意味があろうか

「わたしを導き、慰めとなってくれたのは、心の中にはぐくんだ仏教の智慧の光だった。
もしも問題解決が可能で、しかも、そのために努力することが有意義なら、平和な落ち着いた心と開かれた態度、そして喜びに満ちた姿勢で、解決のために、じぶんの生活を捧げようとした。もしも解けない問題であれば、やっきになって燃えつきてしまったり、時間を無駄にし、エネルギーを浪費しないようにした。

 どちらの場合も、感情や頭の中の固定観念に執着したり、その上に長く居座ったり、気にしたりせず、ただ、流れていくにまかせた。そんなことをしても、状況は悪くなるだけだからである。

シャンティデーヴァはこう言っている。

「問題を解くことができるなら、心配する必要はどこにあろうか。
解くことができないなら、心配することになんの意味があろうか」

-トゥルク・トンドゥップ



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