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2010年1月1日金曜日

ヴィヴェーカーナンダ


この人生は短く、他のつまらぬ事物は移り変わる。
しかし他者のために生きる人々だけは生きる。
その他は、生きているというよりは死んでいる。

――ヴィヴェーカーナンダ


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・幼少時代からの能力

ナレーンは子供の頃から異常な能力を有っていた。後年、彼は次のように書いている。
「わたしの記憶に残っている最も幼い頃から、ベットに入って眠りかけると、いつも眉間に不思議な光の点がひとつ見えてきて、それがいろいろと形を変えるのが面白くて、それをもっとよく見ようとして、しまいにはひたいを地につけ、礼拝のような姿勢になる。そして、しまいにはじけて、わたしの全身を足の先から頭のてっぺんまで、白いやわらかい光で包み込む。その時、わたしは外界の知覚を失って眠り込むのが常であった。わたしは当時、誰もがそんなふうにして眠るのだと思っていた。わたしが大きくなって瞑想するようになった時、例の光の点が眼を閉じるのとほとんど同時に現れるので、わたしはそれに精神を集中した。その当時、わたしはデーヴェーンドラ・ナート・タガール(ブラハマ・マサージの指導者)の指導の下に、少数の学生といっしょに瞑想に行事ていたが、仲間の連中と話し合った時はじめて、わたしのような経験は誰も有っていないことを知った」(佐保田鶴治著「ヨーガの宗教理念」P156)


ラーマクリシュナの慈愛

ラーマクリシュナはこんなことも言った。
「わたしは神を見ることも、話しかけることもできる。ちょうど、わたしが君を見、君に話しかけるようにネ。世間の人は妻や子供が死んだとか、財産がなくなったからといって、瓶になん杯もの涙を流すが、神に会えないからといって泣くものがあろうか? しかし、涙を流すほどに神に会いたいと願い、神を呼び求めるなら、神はご自身をお現しになる。それはたしかだ
ナレーンはこの言葉を聞いて、ラーマクリシュナはこれまで会った他の宗教家とはちがって、実際に経験したことを語っているのだと信じ、よしんば狂人であるとしても、その純粋さには頭が下がる思いがして、ラーマクリシュナの足に礼拝した。



・一躍して有名になる

 人は不滅の福祉(神)の子であり、人の究極目的は、自己のうちに存在する神性を実現することによって、自分が神になることにある。あらゆる宗教はこの目的を達成するための道であって、どの宗教にも最高の人格を有った男女を作り出す力がある。各学派は互いに排斥しあうのではななくて、助け合わなければならない。(佐保田鶴治著「ヨーガの宗教理念」P175)



・聖者の最期

ヴィヴェーカーナンダ聖師の大禅定は午後九時十分に起きた。享年三十九才五ヶ月と二十四日。彼の予言「われは四十歳まで生きていない」は実現した。

私は私の肉体をやぶれた着物のように脱ぎ捨てることを良いと思う時がくるだろう。しかし、私は働くことをやめはしない。私は世界が神と一つであることを人々が知るまでは、至るところで、霊感を吹き込むことをやめはしないよ」これから幾世紀ものあいだ、至るところで世人はスワーミー・ヴィヴェーカーナンダのメッセージによって奮い立たされるであろう。

「オオ、人間よ!最初に、汝は梵(ブラフマン)と一体であることをさとりなさい。
  全宇宙がまことしに同じ梵なることをさとりなさい」


ヴィヴェーカーナンダ(Swami Vivekananda,ベンガル語:স্বামী বিবেকানন্দ Shami Bibekanondo,本名:ナレーンドラナート・ダッタ(Narendranath Dutta,ベンガル語:নরেন্দ্রনাথ দত্ত Nôrendronath Dhat-tha)1863年1月12日 - 1902年7月4日)はインドの宗教家。ヨーガ指導者。ヨーガとヴェーダーンタ哲学の霊的指導者としてインド及び西側諸国の人々に影響を及ぼした。彼に親しみを持つものは彼を「ナレーン」と呼んだ。ラーマクリシュナの一番弟子である。

【書籍】
amazonヴィヴェーカーナンダの書籍一覧

聖者の生涯第二巻 ←わかりやすくておすすめ

(2009.2発行)
インド三大聖者の一人・ラーマクリシュナの弟子3人の感動的な生涯を収録。
第一話 「ヴィヴェーカーナンダ」
第二話 「ナーグ・マハーシャヤ」
第三話 「ゴーパーラ・マー」


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