最新記事

2010年1月26日火曜日

Sri Anandamayi Ma アーナンダマイーマーの教え

アーナンダマイマ―
アーナンダマイマー
このエントリーをはてなブックマークに追加




「あるヨギの自叙伝」に出てくる、女性の聖者がいましたね。
彼女は最近まで生きていらっしゃったんですね。アーナンダマイマーの動画と素晴らしい教えをご紹介します。
Sri Anandamayi Ma "Hari, Hari": Her Words (1896-1982)



スポンサーリンク







アーナンダマイー・マーの教え


あらゆる行為を捧げる


人は、日常生活のあらゆる行為を、
至高者にささげようとしなければなりません。

朝起きた瞬間から、夜眠りに落ちるまで、
人はこの心構えを継続しようと努力しなければなりません。

そうすることによって、
人は徐々に次のようなことを感じるようになるでしょう。

「私は、執着、怒り等の好ましくない性質を、彼に捧げてもよいのだろうか?
私にとって最愛である彼に、そのような悪いものを捧げることはできない。
よって私は、私の心の中から、悪しき思いを完全に取り除こう。
また、私にとって最愛である彼に、すべてのものを捧げるなら――
『私のもの』などはどこに残るだろうか?」

このように自己反省をし続けることで、
人は最終的に、悪いことや好ましくないことは何もすることができなくなります。

このようにすべてをささげ続けて、人が彼の蓮華の御足の下で無心となり、少しの「私のもの」もなしにすべてを犠牲にしたとき、
何もなくなったその人に、彼は彼のものを運んできてくださるかもしれません。

あなたは、その幸運な瞬間に、彼が何を行なうかを知っていますか?

あなたのその少しの献身へのご褒美として、彼はあなたを完全にします。
そしてあなたには、何も達成できないものはなくなるでしょう。
そのとき、あなたの自己献身は、完全なものとなります。
まさしくその瞬間、「分けられない一者」は姿をあらわします。
完全なる完全性が、おのずから明らかになるのです。


Sri Anandamayi Ma

唯一者を見つけるには

唯一者を見つけるには
彼を求めて、泣き叫ぶほどに切望することです。

安穏と幸運の時期にも、
逆境と苦悩の時期にも、
ただ彼だけに、避難所を求めてください。

いつでもどんなときでも、彼を求める心を保ち続けてください。

彼こそは完全なる慈悲であり
幸福の泉であり
完全なる至福なのです。


おまかせ

神への愛を持ち、
陽気な心で、
すべてを神に任せることのできない人は、

人生が極端に重荷となり、
決して何も価値あることを達成できません。

人は、
すべてはただ「彼」によって与えられ、
「彼」によって奪われるという信念を持ち、
喜んで世界に奉仕しなければなりません。

そのような精神でなされる行為は、
マインドとハートを浄化するのを助けてくれるでしょう。



ただの道具

それは、すべてに偏在する完全なる意思。

この意思と調和して、
彼の手の中のただの道具になることによって、
彼を悟るべきです。



Sri Anandamayi Ma


生きる意味


人は、心の真の本性に覚醒しなければなりません。

そしてその道の途上、たとえ彼が大地に倒れたとしても
その大地をしっかりと踏みしめて、何度でも立ち上がらなければなりません。
このように努力し続けることは、人の義務です。

もし人が心の本性に目覚めないならば
この人生に何の価値がありますか?
彼はただ意味なく人生を浪費しただけです。

このようにして人は意味なく年をとり、死に、また生まれ変わり、
何度も何度も、意味のない人生を浪費してきました。

今こそ、あなたが誰なのかを突き止めてください!
生と死の意味を悟ってください。
その原因と、それからの解放を悟ってください!

人がその内なる本性への旅人になるとき
彼は真に価値ある人生を歩みだすでしょう。

何百もの障害と、何百もの妨害をその足元に踏みつけ、
剛健な心を奮い起こし、
この不死の国への巡礼の旅を、確実に達成しなければなりません!


英雄のように


人は、英雄のようでなければなりません。

不幸や苦悩の時期こそ、

不屈の精神と忍耐を持ち、

雄々しくあってください。

時は決して静止していません。


プレゼント


すべての衆生に――
たとえそれがあなたに害をなす人であっても――

愛と幸福を全力で与えてください。

彼らはお返しに、
「不屈の心」
というプレゼントを
あなたに与えてくれるでしょう。




それ




なぜ、
「未来において悟りを得よう」というのですか?

それは「今」「ここ」にあります。

ただし、それを覆っているヴェールは、
破壊されなければなりません。

ヴェールがバラバラに崩れ落ちるとき、
「それ」があらわれます。

それは自ら光り輝き、
永遠なる輝きであり、
すべての二元性を超えています。






戦場



人生は、まさに戦場です。

世俗的な富ではなく、
精神的な富を勝ち取ることによって、
この戦いに勝利しなければなりません。

自らが無智であるのに智者であると思いこむ人は、
すなわち無智な人です。

自らが無智であることを知り、
智慧を得ようと努力する人は
すなわち智者であり、
称賛に値します。





彼だけが



彼だけが、
彼の恩寵の真の意味を知っています。

彼の御業の真の意味は、
人知を超えており、
どんな人でも
理解することができません。

巡礼者の数だけ、異なった道があります。

彼はすべての巡礼者に適した道を用意します。

そして彼は
苦しみによって苦しみを破壊し、
悲しみによって悲しみを
絶滅させるでしょう。



一撃



至高者は、
それぞれの人のカルマや傾向に応じて、
さまざまな名前や形で崇拝されています。

あなたが信じる彼の名前と形に対して、
誠実に、
熱意をもって、
心から助けを求めてください。


至高者は、
わが子が悲しみに沈んでやるせない涙を流し、
自分に助けを求めているのを見て、
無関心でいることはできません。

彼はわが子を救うために、
わが子に厳しい一撃を加えるでしょう。

――しかしその後、
彼は愛するわが子を
再び抱擁し、慰めるでしょう。






欲望



人は欲望の奴隷です。

欲望はその人自身の心が作りだすものです。
人は自作自演で、何かを得て喜んだり、
失って悲しんだりしているだけのことです。
そこには真の幸福は何もありません。

唯一の真の実在だけを、
常にじっと見つめてください。

――そうしなければ、
そこには欲望が生じ、
また間違った行為が生じ、
あなたが生まれてきた意味のすべてが台無しになり、
そして苦悩と死が生じるでしょう。






年金

「それ」に到達したとき、
人は「永遠の神の年金」を得ます。

普通の年金は、額に限りがあり、
またあなたが生きている間だけもらえるものですが、
「永遠の神の年金」は、
限界のない至福であり、
生死を超えて決して終わることがありません。

その素晴らしさは、
言葉では表現することができません。

もしこの世で、
何かを望むべきであるとするならば
人は、この至福の年金をこそ望むべきです。




一味平等



至高なる神の遊戯の中では、
得ることも失うことも一味平等です。

これがこの世界の真実です。

何も欠けるところがない彼に心を向けてください。

ただ彼を瞑想してください。
彼に祈りを捧げてください。
彼をよりどころとしてください。
より多くの時間を、神の名を唱えることと瞑想に捧げてください。
彼の御足に、あなたの心を明け渡してください。
絶え間なく神の名を唱え、瞑想し続けようと努力してください。





ただその彼だけを



至高なる神の愛の中に避難所を求めること
それ以外に、現世の心配や苛立ちから解放される方法はありません。

彼のことを常に心に思いながら、あらゆる活動に従事してください。

過ぎ去った過ちや不幸を後悔したり、
まだ来ていないことを期待したり恐怖したりするのは、
単に心を悩ませて、身体を損なうだけです。

彼を思う心を、常に保ってください!
すべてはただ彼の愛によって生じ、維持され、滅します。
ただその彼だけを、心に念じ続けなければなりません。 


スポンサーリンク

LinkWithin

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...