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2010年1月26日火曜日

Sri Anandamayi Ma アーナンダマイーマーの教え

アーナンダマイマ―
アーナンダマイマー
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「あるヨギの自叙伝」に出てくる、女性の聖者がいましたね。
彼女は最近まで生きていらっしゃったんですね。アーナンダマイマーの動画と素晴らしい教えをご紹介します。
Sri Anandamayi Ma "Hari, Hari": Her Words (1896-1982)



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アーナンダマイー・マーの教え


あらゆる行為を捧げる


人は、日常生活のあらゆる行為を、
至高者にささげようとしなければなりません。

朝起きた瞬間から、夜眠りに落ちるまで、
人はこの心構えを継続しようと努力しなければなりません。

そうすることによって、
人は徐々に次のようなことを感じるようになるでしょう。

「私は、執着、怒り等の好ましくない性質を、彼に捧げてもよいのだろうか?
私にとって最愛である彼に、そのような悪いものを捧げることはできない。
よって私は、私の心の中から、悪しき思いを完全に取り除こう。
また、私にとって最愛である彼に、すべてのものを捧げるなら――
『私のもの』などはどこに残るだろうか?」

このように自己反省をし続けることで、
人は最終的に、悪いことや好ましくないことは何もすることができなくなります。

このようにすべてをささげ続けて、人が彼の蓮華の御足の下で無心となり、少しの「私のもの」もなしにすべてを犠牲にしたとき、
何もなくなったその人に、彼は彼のものを運んできてくださるかもしれません。

あなたは、その幸運な瞬間に、彼が何を行なうかを知っていますか?

あなたのその少しの献身へのご褒美として、彼はあなたを完全にします。
そしてあなたには、何も達成できないものはなくなるでしょう。
そのとき、あなたの自己献身は、完全なものとなります。
まさしくその瞬間、「分けられない一者」は姿をあらわします。
完全なる完全性が、おのずから明らかになるのです。

2010年1月10日日曜日

トンレンの瞑想方法

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はい、ではもう一つ瞑想をいきますが、瞑想ってね、本当にたくさんあるんですが、おおまかに言うとまず、心を無にしていく、つまり空っぽにしていく瞑想がありますね。それから、物理的にエネルギーであるとかヴァイブレーションを利用する瞑想があります。

それは今やったマントラとかもそうだし、あるいは今日はやらないけども、体中をエネルギーを回していくような瞑想とかいろいろあります。で、もう一つ、心を浄化する瞑想があります。で、そういったものを組み合わせなきゃいけない。

で、特にね、この心の浄化の瞑想って大切です。

なぜかというと、もちろん最初のうちは大丈夫なんだけど、みなさんのヨーガ修行が進んでくると、さっきも言ったように、ちょっとこう深い心の世界に入っていきます。で、それはとてもいいことなんです。

つまりみなさんの表面の、つまり建前みたいなのがどんどん崩れてきて、本当に本当の自分が現われてくる

本当の自分が現われるってとてもいいことなんだね。で、それをきれいにしてしまえば、みなさんはもう本当に心から幸せな人生が待っている。でも汚い場合、つまり深い意識にけがれがいっぱいある場合、それが出てきちゃったら、ただのわがままな人になってしまう(笑)。

あるいは非常に、逆にヨーガをやったおかげですごい怒りっぽくなったりとか、それは実際あるんだね。それはしょうがないっていえばしょうがないんだけど。それをこういった精神的な浄化の瞑想で補うわけですね。そういうのをやってると、みなさんがヨーガが進んできて深い意識に入ってきても、あまり困らない。逆に根っからの非常に幸せな人になります

はい。で、その心を浄化する瞑想っていろいろあるんですが、その中でも代表的な今日は――聞いたことあるか分からないけど、トンレンっていう瞑想をいきます。

トンレンっていうのはこれは、簡単にいうと慈悲の瞑想です。で、これをちょっと今からわたしが誘導していきますので、ちょっとね、まあ人によっては「え!? そういう考え方は初めて聞いた」と、「それは怖い」とかあるいは「できそうもない」っていう人がいるかもしれないけど、思い切ってやってください。イメージの瞑想なので、思い切っていろいろイメージしていってください。


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1.自己を癒す瞑想


はい、じゃあいきますよ。
じゃあ目をつぶって今から言うことをイメージしていってください。
これはいくつかのプロセスがありますが、今日はまあパッパッパッパッとやっていきます。
はい、目をつぶって――自分の目の前に、もう一人の自分をイメージしてください。

もう一人の自分。つまり自分を二つに分けて、目の前にもう一人の自分がいます。で、この目の前に座っている自分は、自分の中のネガティブな部分をすべて背負った自分です。つまり過去のさまざまな失敗、過ち、あるいは思い出したくもないこと、あるいは否定的な感情、あるいは悪い性格とか、いろんなものを背負った自分です。

で、こっち側の今座っている方の自分は、そうじゃない自分の中のポジティブな、非常にいい部分、清らかな部分、あるいは過去のさまざまなよかったこととか、そういうのを一身に持った方の自分です。 

はい、この二つの自分をイメージして、自分の呼吸に集中してください。

呼吸をコントロールしなくていいです。ただ集中します。
つまり、吸ってるなあ、吐いてるなあっていうのに集中します。そして自分が息を吸うたびに、その目の前に座っているネガティブな自分の苦しみ、後悔、嫌な思い、全部吸い取ってあげます。つまりこっち側のいい方の自分が、呼吸と一緒に全部吸い取るイメージをします。

逆に息を吐くたびに、その苦しんでるネガティブな自分に対して、許しであるとか、癒しであるとか、安心であるとか、そういったものをパーッてすべてこっち側の自分が白い光として相手に与えてしまいます。相手って、相手も自分なんだけど。
これを呼吸に合わせて繰り返していきます。つまり自分で自分を癒す瞑想ですね、これは。

はい、じゃあまずこれを少し繰り返しましょう。

自分が過去から心の奥に隠してきたさまざまなネガティブな思い、卑屈さ、後悔の気持ち、こういったものをすべてグーッと吸い取ってあげて、それに対する許しや癒しや安らぎをパーッて与えることを繰り返します。


2.愛する人へのトンレン


はい、みなさん家でこれをやるときは、一個一個プロセスを十分にやった方がいいと思いますが、今日はちょっとパッパッと次に移ります。次のプロセス。今度はいったんその目の前の自分を消して……今度は目の前に、自分の愛する人を一人思い浮かべてください。誰でもかまいません。

家族でもいいし、恋人でもいいし、友人でもいいし、あるいは憧れてる人でもいいので、自分の好きな愛する人を誰か一人チョイスして、目の前にリアルに思い浮かべます。

はい、そしてその目の前の愛する一人の人が、何らかの形でとても苦しんでいる姿をイメージしてください。何でもいいです。精神的、肉体的、あるいは極端にいえば地獄に落ちて苦しんでるでもかまわない。何らかの形でその愛する人が苦しんでいます。それを見て、当然その愛する人が苦しんでいるので、自分の中に強い慈悲の思いが湧いてきます。

で、これは瞑想なので、意識的に湧き起こさせてください。

意識的に、「ああ、かわいそうだ」と、「なんとかしてあげたい」と。もっといえば「自分が身代わりになってもいい」「なんとかこの苦しみから彼を救ってあげたい」っていう強い思いを意識的にグーッと湧き起こさせてください。

はい、そしてその強い慈悲の思いを持ったまま、また自分の呼吸に集中して、息を吸うたびにその愛する人の苦しみが黒いエネルギーとなってグーッと自分の中に吸収されるイメージをします。

逆に息を吐くたびに、自分の中の幸せのエネルギーがパーッと白い光となってその愛する人に注がれるイメージをします。

はい、これを呼吸とともにゆったりと繰り返すことで、目の前の愛する人はどんどん苦しみから解放されて幸福になっていくというふうにイメージします。

逆に自分自身は、その相手の黒いエネルギーを吸い取ってるんだけど、それで自分がけがれたりはしません

逆に自分の中のエゴが破壊されて、より純粋で透明な自分になっていくというふうにイメージします。はい、ではこのイメージを少しまた呼吸に合わせて繰り返しましょう。


3.人数を増やす


はい、ではこれをさらに続けながら、目の前の愛する人の人数を増やしていってください。つまり一人ではなくて、二人、三人と、好きな人、愛する人を思い浮かべてください

この段階ではまだ愛する人だけでいいです。自分が愛してる人、あるいはこの人に愛情を持ってるって思う人を一人、二人、三人と、だんだん増やしていきます。

で、全く同じことをします。みんな、その愛する人々が苦しんでいて、その苦しみを全部グーッと自分が呼吸とともに吸い取り、自分の幸せをすべてパーッて彼らに与えるっていう瞑想をまた繰り返します。


4.無関心な人へのトンレン


はい、次にまだその瞑想を継続しながら、目の前の人々の中に、好きでも嫌いでもない人を入れていきます。つまり知り合いで、別に好きでも嫌いでもない、あるいは顔を知ってるし名前も知ってるけどあまりよく知らないとか、そういう人々。

つまり無関心になりがちな、好きでも嫌いでもない人を一人一人思い出して、目の前のその輪の中に入れていきます。で、全く同じことをします。つまりあまり自分が関心がない、好きでも嫌いでもない人たちも苦しんでいる。その苦しみをまたグーッと吸い取る練習をします。逆に自分の幸せを彼らにも分け隔てなくパーッと与える瞑想をします。呼吸とともにね。

この辺からちょっとエゴが嫌がり出します。ちょっとやりにくくなってきますが、思い切ってやってください。


5.嫌いな人へのトンレン


はい、次はまたその瞑想を続けながら、いよいよ今度は自分の嫌いな人を目の前のグループに入れていきます。嫌いな人がもしいなかったら、苦手な人とかでもいいです。つまりちょっとネガティブなイメージを抱きがちな人。過去にちょっと嫌なことをやられたとか、そういった苦手な人、嫌いな人、そういう人々を目の前にまた思い浮かべます。で、全く同じことをします。

つまりその自分の嫌いな苦手な人々もまた苦しんでいて、で、その苦しみを呼吸とともに黒いエネルギーとしてグーッと吸い取ります

で、逆に息を吐くたびに、自分の中の幸せのエネルギーを白い光と変えて、パーッとその嫌いな人々にも捧げる瞑想をします。これによってその目の前の人々はどんどん幸福になり、苦しみから解放されます。

自分はというと、よりいっそう透明、純粋な状態になっていくっていうふうにイメージします。はい、ではしっかりと呼吸に合わせてイメージを繰り返しましょう。


6.すべての衆生へのトンレン


はい、では最後に、目の前に自分がイメージできる限りのこの宇宙の多くの生き物、つまり人間だけじゃなくて、動物やあるいは他の生命体も含めて、多くの宇宙の生き物を思い浮かべ、同じことをします。

つまりもうこの宇宙の全部の苦しみを自分一人で引き受けるぐらいの気持ちで、グーッと黒いエネルギーを吸い取ります。逆に自分の中の幸せはすべてこの世界に差し出すような気持ちで、パーッと白い光を吐き出します。これによってこの宇宙のすべての生き物がどんどん幸せになり、苦悩から解放されるというふうにイメージします。逆に自分はよりいっそう純粋、透明な状態になっていくっていうふうにイメージします。

はい、ではしばらく繰り返しましょう。これはみなさんの心を強烈に浄化して、非常に幸福感を与える瞑想です。

あとチベットではこれは病気の治療にさえ使われている瞑想です。病気も治ってしまうぐらいの力がある瞑想ですので――病気って自分の病気がね、治ってしまうぐらいの力があるので、しっかりと心をこめてやってみてください。


  • 心を安定させる瞑想


はい、では瞑想を終わりましょう。さっきも言ったように、瞑想もいろんな瞑想がありますが、一つ一つしっかりと身に付けていけばかなり――例えば今やった瞑想もね、非常に力があります。非常にわれわれの心を改革してくれるものがあるので――まあ今の瞑想なんてね、本当に、「さあ、はい、瞑想しましょうか」ってかしこまってやらなくても、普段からやってもかまわない。普段こう道を歩いてて、いろんな人を見かけて、「みんなの苦しみよ、はい、グーッと来い」と。「自分の幸福は、パーッとみんなに行け」ってやるだけでも相当力があります。力があるっていうのは何度も言うけども、自分の心が非常に安定します。

ちょっとなんか逆説的なんだけど、本当なんです(笑)。これをみなさんがしばらくやっていると、あれ!?って感じで安定します。
これはだから心の仕組みを利用してるんです。だから一つ一つの瞑想が非常に深い意味があるので、ぜひ固めてほしいですね。
はい。で、これから段階的にまたさまざまな行法を、次のもの、次のものっていう感じで教えていくようになると思います。

はい、ではいったん行法の実習はこれで終わりにして、あいさつとして、さっきのね、ア・ウ・ンのマントラがありましたよね。あれを三回声を合わせて一緒に唱えます。さっきはちょっとバラバラに唱えましたが、三回、ちょっと短めに一緒に唱えます。これはインドのヨーガ道場とかでやるあいさつ。これをみんなでやります。三回ね。はい。

【アウム】

はい、ありがとうございました。

関連書籍

『心の訓練』 上・下巻 ヨーガスクールカイラスの本
心の訓練 上巻
心の訓練 下巻
秘密に伝えられていた「トンレン」の奥義を、ハンセン病の患者に教えたチベットの聖者「チェカワ」。
その後、『心の訓練に関する七つ要点』として多くの人にこの実践方法を伝えたそうです。

この本は、上記の本文と、勉強会の内容の記述したもので、初めて読んだ時、「慈悲」について高度な内容なのに、非常にわかりやすくて具体的な実践方法で、驚きました。そして、まるで実際に勉強会に参加しているかのように学べて面白かったです。「トンレン」を知りたい方や、慈悲、仏教を学んでいる方にも是非おすすめしたい一冊。


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2010年1月7日木曜日

不滅の言葉―ラーマクリシュナ・パラマハンサ

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ブラフマンがどんなものか口では言えないのだ。
塩人間が海の深さを測りに行った。どれほど水があるのか報告するつもりだった。でも報告することができなかった。海に入ったとたんにとけてしまったから。
-いったい、誰が海の深さを知らせることができるかね?


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☆*゚¨゚゚・*:..。o○ ○☆*゚¨゚゚・*:..。☆


夜空には、たくさん星が見えるが、太陽が昇ると見えない。
あなたは、日中の空には星はない、と言うことができるか。
だから、無知である日々の中に、神を見ないからと言って、
あなたは、そこには神はいない、などと言ってはいけない。


☆*゚¨゚゚・*:..。o○ ○☆*゚¨゚゚・*:..。☆

2010年1月4日月曜日

ただ


誰かにほめられたいと思わず
けなされたくないと思わず
ただ神を愛する

何かが欲しいと思わず
何かを失いたくないと思わず
ただ神の愛を信じる

幸せになりたいと思わず
不幸になりたくないと思わず
ただ人々が幸せであればいいと思う

自分は不幸だと思わず
自分は満たされていないと感じず
神の愛の中にいる自分は最高の幸せ者であると思う

馬鹿にされても気づかず
さげすまれても気づかず
ただ相手の親切や愛を見る

合理的なメリットを求めず
観念的な良し悪しを捨てて
ただ神に心を合わせる

成功を求めず
失敗を恐れず
ただ神の使命に全力を尽くす

過去にとらわれず
未来を心配せず
ただ今、なすべきことをなす

あれこれ考えず
はからいを捨てて
ただ愛のために生きる

しがらみを捨てて
自分で自分を縛らず
ただ神に心を開く

今はなかなか難しくても
これらのことを
無理やりにでも心に言い聞かせ
そのようにあろうとしていくならば
のちには、あらゆる苦しみは
跡形もなく消えうせるでしょう

M(マヘンドラナート・グプタ)の役目


M(マヘンドラナート・グプタ)

ラーマクリシュナの弟子であり、師が話したことや日常を、事細かにメモして日記に残し、本にしました。
後に、『ラーマクリシュナの福音』として、師の教えを世界中に伝えたマヘンドラナート・グプタ。

通称”M”。

彼自身も偉大な聖者で、晩年は多くの弟子にヨーガを教えていました。

そして、パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』にでてくる「至福の聖者」マスター・マハサヤは、このマヘンドラナート・グプタのことなんですね!

さて、どんな人だったか、先生の日記からわかり、またバクティ・ヨーガとはどういう道か、大変勉強になりましたので、ここに抜粋して紹介します。


☆ただの道具☆

わたしが好きな話で、前も言ったけど、ラーマクリシュナとMね。
ラーマクリシュナの弟子の、『ラーマクリシュナの福音』を書いたMっていう人の話で――マヘーンドラナートっていうんだけど――Mっていう人は学校の校長先生をやってて、自分の学校の子供をどんどんラーマクリシュナのところに連れてった。
その中にラーマクリシュナが気に入った、すごい素晴らしい素質を持った子供たちもいて、で、ラーマクリシュナがあるときその子供たちを絶賛するわけだね。
「この子は偉大な魂であって、前生から完成された魂だ」ってすごいべた褒めするわけだね。
「前生から完成されてて、もう本当に使命を持ってここにやってきたんだ」と。
バーッて言った後に、そこにいた人が、「じゃあMは何なんですか?」と。つまりそのような偉大な魂を連れてくるMっていうのはどんな存在なんだって聞いたら、ラーマクリシュナは一言だけ、

「ああ、ただの道具だ」

って(笑)。

で、わたしね、何でそれで感動したかっていうと、それ書いてるのMなんです。
普通さ、もし「ただの道具だ」って言われて、「え! おれは道具かよ」って思ったら、書かないよ、きっと(笑)。でも書いてる。

多分ね、わたしの想像だけど、Mとしては嬉しかったと思う(笑)。つまり、ただの道具っていうのはバクティの最高の理想なんです。

つまり「おれが!」とか「おれは偉大な魂だ!」とかじゃなくて、ただ道具として生きるっていうかな。で、その感覚っていうかな、その感覚をみなさんが身につけられたら相当苦悩は減ります。
ただわたしは至高者によって動かされてるだけだと。例えばそこで生じる成功にしろ失敗にしろ。
あるいは人から言われる善いことにしろ悪いことにしろ、全部神の動かしてる機械の範疇にあるものにすぎないと。
そういう意識だね。これを持つことっていうのはバクティ・ヨーガの一つの基本だね。

☆*゚¨゚゚・*:..。o○ ○☆*゚¨゚゚・*:..。☆



M(マヘンドラナート・グプタ)(1854年 - 1932年)は、ラーマクリシュナの主要な弟子の1人。
1882年に彼が初めてラーマクリシュナに会ったとき、彼は高等学校の校長であった。彼はラーマクリシュナが死去する1886年まで、師を訪れ続け、自己の日記帳に師の教えと会話を書き留めた。
そして、晩年5年間の言行録を、1897年から約35年間かけ 5冊に分けて発表した。
1942年には、英訳されたものが "The Gospel of Ramakrishna" (邦題『ラーマクリシュナの福音』)というタイトルで出版された。

『あるヨギの自叙伝』の "The Blissful Devotee and his Cosmic Romance" という章は、マヘンドラナート・グプタに捧げられたものである。

☆*゚¨゚゚・*:..。o○ ○☆*゚¨゚゚・*:..。☆

Mの伝記はこちらに紹介されています。
1.「ラーマクリシュナの福音」の著者Mの短い伝記(1)

☆*゚¨゚゚・*:..。o○ ○☆*゚¨゚゚・*:..。☆
もっと知りたい方へ、これらの本に訳されています。
1.『不滅の言葉(コタムリト)』
田中嫺玉・奈良毅訳  中公文庫
2.『インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯』
田中嫺玉  中公文庫
3.『ラーマクリシュナの福音』 
マヘンドラナート・グプタ 日本ヴェーダーンタ協会

2010年1月1日金曜日

ヴィヴェーカーナンダ


この人生は短く、他のつまらぬ事物は移り変わる。
しかし他者のために生きる人々だけは生きる。
その他は、生きているというよりは死んでいる。

――ヴィヴェーカーナンダ


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・幼少時代からの能力

幸福の秘訣――パラマハンサ・ヨーガーナンダ

生を楽しむのは良いことですが、幸福の秘訣は、何事にも執着しないことです。
花の香りを楽しんだら、その中に神を見なさい。
私は自分の感覚を、いつもそこに神を感じ神を思うためにのみ使ってきました。

「私の目は、万物の中にあなたの美を見るために作られました。私の耳は、あなたの偏在の御声を聞くために作られました」――このような神との一体感がヨーガです。

神を見つけるのに、森や山奥に入る必要はありません。
執着は、自分自身を世俗的慣習から抜け出させるまでは、どこへ行ってもついてきます。
ヨーギーは、自分の心の洞窟で神を見つけます。そして、どこへ行くにもその意識をもって行き、いつも神とともにいる至福を感じています。

人間は、肉体に束縛された感覚意識の中に落ち込んだため、そこから生じる我欲、怒り、嫉妬などのゆがんだ想念にも支配されるようになりました。神を見つけるには、こうした心のゆがみを追放することが必要です。
東洋人、西洋人を問わず、人は皆、感覚への隷属状態から抜け出さなければなりません。

朝のコーヒーが飲めなかったからといって腹を立てたり頭が痛くなったりする人は、習慣の奴隷になっている人です。どんな習慣にも束縛されないのがヨーギーです。


――パラマハンサ・ヨーガーナンダ

人生の唯一の目的 ――パラマハンサ・ヨーガーナンダ


神から授かった意志という力を、神を知るというその本来の目的のために養い育てることが、人生の唯一の目的です。
われわれを創られた神は、われわれを苦しみから解放するために、われわれの意識の中に入ろうとして、一人ひとりの心臓を叩いて叫んでおられます。しかしわれわれは、なかなかそれに耳を傾けようとしません。『神はきっと、人間をおつくりになったことを後悔しておられるに違いない!』――私は毎日、神に、どうして人間をこのようにおつくりになったのかを尋ねています(私は心に思い浮かんだことは何でも神に話すようにしています。神も、私がそうして神に付きまとうのを喜んでおられます)。
すると神は、ご自分のおつくりになったものが完全でないことをよくご存知で、
『鉄を火の中で白熱するのは鋼にするためだ』
とお答えになります。つまり、痛めつけるためではない、ということです。
病気も困難も、われわれに教訓を与えます。苦しい経験はどれも、われわれを苦しめるためではなく、われわれの中にある不純物を燃やして天の家へ帰らせるために与えられるのです。神ほどわれわれの解放を心底望んでおられる方は他にいません。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

人はみな、一つの幸福が終わるたびに、いつまでも変わらない完全な幸福を与えてくれそうな別の何かを求めて、永遠の探求を続けています。この探求は、それを神に求め、神を見つけたときに終わります。神こそがその"別の何か"だからです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

人生は過ぎ行くにつれて、その幻影は次々と消えていきます。そこであなたは考えます。
「人生とは一体なんだろう? 子供時代や若かったころの幻影が消えた後に、何が残っているのだろう?」
と。
真実の幸福は、この眉間にある霊眼の門の後ろにある聖なる意識の中だけにあります。
私は自分の人生から、眼に見えるこの世界を切り捨ててしまいました。それは、この世界がつまらないことをいかにも重大そうに見せかけてわれわれを幻惑するからです。
人は皆この幻惑の世界に住んで、隣の人に負けまいと見栄を張りながら生きています。
しかし、真の幸福は神の意識の中に住むことによってのみ得られるのです。あなたも試してごらんなさい。


――パラマハンサ・ヨーガーナンダ

【パラマハンサ・ヨガナンダ(1893-1952)】
1893年1月5日インド生まれ。米国に渡り一生をヨガの伝導に捧げた。
その著書『あるヨギの自叙伝』は、エルヴィス・プレスリー、ジョージ・ハリソン、アップルコンピュータ創業者スティーヴン・ジョブズたちの座右の書となり、ビートルズのサイケデリック・アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットに登場しているなど、世界中の霊性探求者たちに影響を与えた。1952年、マハサマディの瞑想に入り肉体を捨てたが、その肉体は死の20日後も腐敗しなかったという。
あるヨギの自叙伝』に登場する"至福の聖者"は、ラーマクリシュナの弟子で『ラーマクリシュナの福音』の著者「M」こと、マヘーンドラナートである。

無上の安穏に――仏陀釈迦牟尼

この身体に何の用があろうか?―ーいつも臭穢をもらし、絶えず病に襲われ、老いと死におびえているのに。
病患に悩み脆いこの臭穢の身体をもって、最上の安らぎ、無上の安穏に落ち着けよ。
「わたしは雨期にはここに住もう。冬と夏にはここに住もう」と、愚者はこのようにくよくよとおもんばかって、死が迫ってくるのに気がつかない。
子供や家畜のことに気を奪われて心が執著している人を、死はとらえてさらっていく。――眠っている村を大洪水が押し流すように。
子も救うことができない。父も親戚もまた救うことができない。死に襲われたものにとっては、彼らも救済者とはならない。
「私はこれを成し遂げた。これをしたならばこれをしなければならないであろう」というふうに、あくせくしている人を、老いと死とが粉砕する。
それ故に、ビックたちは、つねに瞑想を楽しみ、心を安定統一して、つとめ励み、生と老いとの究極を見極め、マーラとその軍勢にうち勝って、生死の彼岸に達するものとなれ。

――仏陀釈迦牟尼

一カ所にすわって

歩きまわっていて時間を浪費してはなりません。一カ所にすわって『彼』をお呼びなさい。そうすればかならず主の恩寵をいただくでしょう。
私は若いころ、数多くの聖地を訪ねて数多くのサドゥたちと交わりました。私は歩いて四大聖地をめぐったのです。当時は鉄道もないのですから、どれほどの困難を味わわなければならなかったか想像がつくでしょう。しかし、それほどの苦行をしても、ほとんど得るものはありませんでした。無知と悲しみはあいかわらず深かったのです。
最後に私は、この庭園のここにすわって、覚悟を決めました、『神を悟らせて下さい、さもなければこの肉体を死なせて下さい』と。そして今、おわかりでしょう、私はわずかばかりの、永遠の至福を得たのです。

――アドブターナンダ

正直でなければ ――ラーマクリシュナ・パラマハンサ

人は真っ正直でなければ、そう簡単に神への信仰を持つことはできない。
神は、世俗性のしみ込んだ心からは、遠く離れた所にいらっしゃるのだ。
世俗の知恵はさまざまな疑念や、学問とか富とかその他のものを誇るようなさまざまのかたちのプライドなどを作り出す。

――ラーマクリシュナ・パラマハンサ

まず神を悟れ――ラーマクリシュナ・パラマハンサ

非常に得ることの難しい人間の生を得ていながら、まさに今生で神を悟ろうという努力をしない人は、生まれたかいのない人である。
まず、第一に神を悟り、それから、他の一切のことをせよ。そのあべこべをしようとはするな。
もし、霊性を得た後に世俗の生活を送るなら、あなたは決して心の平安を失うことはないであろう。
まず神を悟れ。これが唯一の必要なことである。
ほかの全てのことは、もしあなたが本当に欲するなら自ずともたらされるであろう。

――ラーマクリシュナ・パラマハンサ

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